すべての人のウェルネスを願って日本で開発された、ヒーリングデバイス CS60Newsletter Vol.191林 憂也さん(第1回) | すべての人のウェルネスを願って日本で開発された、ヒーリングデバイス CS60
2022/11/17

Newsletter Vol.191

林 憂也さん(第1回)

今回伺ったのは、東京都世田谷区駒沢にあるCS60サロンの「ヘルスケアマン」です。アスリートが通うサロンとして有名な「ヘルスケアマン」はどのようにして作られたのか、FL(フェローシップ)の林 憂也さんにお話を伺いました。

―林さんのCS60との出合いはどういうものでしたか?

林:今から5年ほど前、地下格闘技の試合に出場した際、開始早々に左足をローキックされ、膝から下の感覚がなくなる怪我を経験しました。
ほんと、一瞬の出来事でした。

―靭帯が切れたのでしょうか?

林:後十字靭帯を損傷していました。
試合中はアドレナリンが出ているので、衝撃はあってもあまり痛みは感じないのですが、一気に感覚がなくなって。
「これはマズいな」と思ったら、案の定ダメ押しの追撃を食らってレフェリーストップ。
試合直後、病院へ搬送されました。

―すごく痛そうですし、なかなか治りませんよね?

林:翌日以降からは、柔道整復師や鍼灸、カイロプラクティスなど、いろいろな療法を受けてはみたものの、半年ほどが経過しても膝が曲がりきりません。
正座もできなければ、ジャンプやダッシュなどの瞬発動作にも制限がかかりました。

―靭帯は自然に再生しないので、移植手術をするしかないと言われていますが、どうされたのですか?

林:手術をしない方法を模索しているときに、仲のいい先輩から、「高城未来ラジオ」で取り上げられていたCS60のことを教えてくれたんですよ。
半信半疑のまま当時あった新井薬師のサロンに行ってみると、お蕎麦屋さんで。
「ここ?」って思いました(笑)。

―「え? ここ大丈夫なの?」って心配になりますよね。

林:お蕎麦屋さんを覗いてみると、奥にベッドが2台あって、施術していたのです。
今思えば運が良かったのですが、西村先生に施術していただきました。
正直そのときは信じてなかったんですよ。場所も場所だし。

―お蕎麦屋さんですし。半信半疑で受けてみたらどうでしたか?

林:ものすごく痛くて衝撃を受けました。
ケガをしてから、膝の裏の組織が癒着して固まっていたのですが、そこをゴリゴリするので、『そりゃ物理的に痛いだろっ』って(笑)。
ほんと終始痛すぎて若干イライラしていたんですけど、そのとき西村先生は「大丈夫、絶対に良くなる」と平然とした態度で仰っていましたね。
「言い切れるってすごいな」と思ったし、言葉に自信があふれていたので、50分痛みに耐えてみようと思えました。

―試合と比べて、どちらが痛かったんですか?

林:CS60のほうが痛くて、終わった後は汗で全身ビチャビチャになっていました(笑)。でも、終わった瞬間からしゃがめるようになって。

―施術前はしゃがめなかったんですよね?

林:しゃがめないし、正座もできなかったんです。それができたのが衝撃すぎて、自分の理解が追いつきませんでした。

―帰りの足取りはどうでしたか?

林:もともとびっこを引いていたのですが、帰りは普通に歩けました。帰ってすぐ家族に「見てみ!」と言って立ったりしゃがんだりしたんですけど、「え? 前からそうじゃなかったっけ?」という微妙な反応でしたね(笑)。

―ご家族も理解が追いつかなかったのですね。それからすぐに契約されたのですか?

林:そこから3~4か月待ってCS60を手にしたんです。そのときは商業的にやっていこうという考えは正直なくて、セルフケアに使おうかなという軽い気持ちでした。
当時は投資で食い繋いでいたので、CS60は1回も使わないままタンスのこやしになっていたんです。

―投資だけで食べていけるのはすごい才能ですね。

林:いえ、今思えば愚の骨頂です。
知り合いから資金を集めて運用し、配当をピンハネして食べる生活ですからね。
最終的には、2年くらいで終わりました。
実態のない投資生活に胡座をかいていたツケで、信用もお金も一気になくなり、すべてが真っさらになりました。
心ここにあらずな状況が何日も続いていましたが、そんなときふと思い出したのがCS60でした。
タンスの奥からCS60を取り出して、「これで0からやりなおそう」と思ったのが、僕の中では運命を感じた瞬間です。

―神様から「あなたの道はそこじゃないですよ」と軌道修正された感じですね。

林:生涯年収の何倍ものお金が集まっていたので、邪な気持ちにのみこまれていたと思います。
今はその時の自分に戻らないよう抗っています。

(つづく)