
- 2022/11/24
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Newsletter Vol.192
林 憂也さん(第2回) お金と信用を失った後、CS60で再起をはかった林 憂也さん。
どのように事業を軌道に乗せていったのでしょうか?―CS60でやっていこうと決めてから、どのように最初の一歩を踏み出したのでしょうか。
林:初期費用がないので、地元のボロボロのアパートの一室を借りて自分たちでリノベーションする事にしました。床板は無垢のものに張り替えて、漆喰も自分たちでコツコツ塗っていったんです。
アパートの外観はボロボロですが中はめちゃくちゃキレイな空間にしました。
知り合いに声をかけるところから始めて、3ヶ月目辺りからは一応家族を養えるくらいの収入に到達しました。―3ヶ月くらいで軌道に乗ってきたのですね。最初から手応えはありましたか?
林:最初は手探りだったので、初期のお客様に対しては正直「申し訳ない。もう一度させていただきたい」という気持ちがあります。ただ、新しいことにチャレンジしたいと思っていたので、行ける範囲のCS60のサロンにはかなり行きました。少しでもオペレーションのノウハウを吸収しようと思ったんです。
―勉強熱心ですね。
林:ちょうどその年、CS60本部によるインド遠征のスタッフの募集があって、それになんとか合格して参加することができたんです。こんなチャンスはないと思って遠征中は主体的に動きました。
その結果、2回のインド遠征を経てどんどん研ぎ澄まされていったんですよね。―何が研ぎ澄まされたのですか?
林:感覚ですね。言葉がわからない分、相手に集中して、視覚や聴覚で反応をとらえていくしかありません。CS60でさすったときのフィードバックや、体の中にいくつもの空間があるという奥行きが理解できるようになりました。
それまでは10人やって半分くらいは「軽くなった」と言い、半分くらいは「うーん」という感じが続いていたのですが、インド遠征で自信がつきました。―インド遠征ではみんなで1000人以上の施術をしたそうですから、すごい経験ですよね。
そこから「ヘルスケアマン」をオープンされるに至ったのはどういう経緯ですか?林:サロンを開いてから1年半くらい経ったころ、僕の活動を応援したいという人があらわれました。その人がスポンサーになってくれたおかげで、今の「ヘルスケアマン」があります。
―当時からアスリート向けだったのですか?
林:いえ、「たくさんの人にCS60を届けたい」と思っていました。
例えば難病の方はサロンに行きたくても行けないですよね。
そういう方々にもCS60を届けるために規模拡大したいと思っていました。―素敵ですね。アスリートが多く通うのが「ヘルスケアマン」の特徴ですが、どうしてスポーツ業界に特化しようと思ったのですか?
林:CS60を広めるために、『見せ方に工夫』が必要だと思ったからです。
当時、「cs60」と検索をすると、非科学的な要素や表現が多くあり、僕はそこが引っ掛かっていました。世の中に広く認知させていく上で、多種多様な人達との調和が大切だと考えていたのです。
特定の何かだけに傾倒する表現は避けたかったんですよね。
そんな葛藤の最中で、「スポーツから攻める」という発想が浮かびました。
例えばラグビーを知らない人でも、ラグビーワールドカップがあるとみんな熱を入れて応援してるじゃないですか。
俄かと揶揄されますが、裾野を拡げるという意味では有効なんじゃないかなと。―野球でもサッカーでも、大きな大会があるとファンがたくさんできて盛り上がりますよね。
林:スポーツは大勢が魅了されるものなので、そこからCS60を広げていったらどうかという手探りの状態ですね。
例えば、格闘技の試合中、ラウンド間インターバルの1分でCS60を使っていたら「あれは何だ?」と話題になりそうじゃないですか。―たしかに、セコンドがCS60を持っていたら「あれ何?」ってつぶやきがツイッターにあふれそうです。
林:スポーツという角度からアプローチしたほうが信用力や見え方が良いので、お茶の間に広がるだろうと信じてますし、今日も数々のアスリートの方々から恩恵を頂いています。
―アスリートとつながりの深い林さんだからこそできる、面白いアプローチですね。
(つづく)