
- 2025/07/31
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Newsletter Vol.330
「CS60代々木上原 三六九堂」志岐貢一さん 【前編】 -

「CS60三六九堂」のオーナーの志岐さんは、ラジオディレクターとしての激務から自己免疫疾患を経験し、心身への探求を深めた後、鍼灸師へと転身。現在はCS60施術者として、多彩なアプローチでお客様への健康をサポートしています。
―今日はさまざまなバックグラウンドをお持ちの志岐さんにお話を伺います。もともと鍼灸師さんであり、ラジオ局でも働かれていたと聞きましたが、一番メインだったのは何でしたか?
志岐:大学4年生のときにラジオ業界に入り、卒業後制作会社に入りディレクターを約3年弱経験しました。その後フリーランスになって1年目の28歳の時に病気を患いました。
―差し支えなければ、どんな病気だったのか教えてください。
志岐:「自己免疫障害」と診断されました。本来、免疫は外敵に対して働くものですが、自己免疫疾患は自分の体を攻撃してしまう病気です。膠原病の一種で、SLE(エリテマトーデス)という病気でよく見られる、顔の皮膚に蝶が羽を広げたような「蝶形紅斑」が広がり、高熱が下がらず入院しました。内臓疾患がないか、毎日検査をしていたのですが、幸い疾患は見つからず、病名が付けられないので退院させられました。
―体調不良の原因は、ご自身ではどう捉えていましたか?
志岐:完全にストレスですね。フリーになったばかりで「完璧に仕事をこなさなければならない」と自分を追い込んでましたし、業界内でも有名なパワハラプロデューサーの怒号を毎日浴びていたのでボロボロでした。医師からすぐに入院するよう言われた時は、内心「やっと解放される!」と小躍りしました(笑)
―退院後はどうされたんですか?
志岐:自宅療養しながら大学病院をいくつか転々としていたのですが、そこで出会った医師達は血液検査の結果を見るだけで、私の体に指一本触れませんでしたし、ストレスについても何一つ聞かれることはありませんでした。その時自然に「あぁ、自分の体は自分で治すものなんだな」と腹落ちしました。そこから心と身体の探求が始まりました。
―どのように探求されたのですか?
志岐:心理学や哲学、宗教や精神世界などあらゆる本を読み漁り、気になった民間療法を片っ端から試しました。その中である自然療法と出会い、38歳の時に「治療家になりたい」という思いが芽生えました。そして「プロセスワーク」(深層心理学を基盤とした、個人や組織の変容を促すアプローチ)という手法に出会い、基礎コースを3年かけて修了し、とことん自分と向き合いました。
一緒に学んだ仲間たちが上級コースに進む中、僕は「心の問題を心だけで扱うのは心許ない」と思い、身体へのアプローチの必要性を感じました。―ボディーワークが必要だというのは、直感ですか? それともご自身の経験があってのことですか?
志岐:この時期に合気道を習っていて、「心身一如(心と身体は二つで一つ」という考え方を持っていたので、そう感じたのかもしれません。東洋医学や東洋思想に興味があったので、鍼灸の道を選びました。
―鍼灸を学ぶには、確か専門的な学校に通わないといけないですよね?
志岐:そうですね。ラジオの仕事をしながら週5日で3年間学校に通いました。入学前は妻が第一子を妊娠していて、ラジオのレギュラーも二本終了してしまい収入も減っていたので、自分の思いだけで500万円近くかかる学費を払ってまで、果たして行っていいのか?と一人葛藤していました。でもいくら考えても明確な答えは出なかったので、「えいや!」と飛び込むことにしました。
―すごくハードな3年間だったんですね。
志岐:人生で一番勉強したと思います。もう二度と出来ませんね。
その後2年ほど横浜中華街にある鍼灸院でお世話になってから、48歳の時に「鍼灸 三六九堂」を開業しました。ところが開業して1年半ほど経ったときに、「鍼灸が好きじゃない」と気づいてしまったんです。―好きじゃなかったんですか? 苦労して国家資格を取られたのに?
志岐:そもそも鍼を打つことも打たれることもそんなに好きではありませんでした。やっていくうちに好きになると思い込んでいましたが、現実は違いました。
学校以外の勉強会にも積極的に参加しましたし、名人と呼ばれる先生の治療も受けに行きましたが、今ひとつピンときませんでした。―鍼灸師としての居場所を探しても見つからず「この道で合っているのだろうか」と悩まれたんですね。そんな中でも、治療院を経営していかないといけないですよね。
志岐:僕が「鍼灸を続けていけない」というところまでメンタルが落ちてしまったので、当然集客も上手く行きませんし、細々ときてくれるお客様もいらっしゃったのですが、納得のいく治療も出来ませんでしたから、本当に地獄でしたね。当時はよくタクシードライバーの求人を調べたりしていました。
―それだけ追い詰められていたのですね。
志岐:もうダメだなと思いつつも、心のどこかに「でも、もっと他に自分に合うものがあるんじゃないか」という諦めきれない想いもありました。この辺りのことは最近出版した『人生が変わる在り方〜内なる声を聴く〜』に詳しく書いてありますので、ご興味ある方はぜひ読んでいただけると幸いです。
(つづく)
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