すべての人のウェルネスを願って日本で開発された、ヒーリングシステム CS60

2025/09/25

Newsletter Vol.338

CS60施術者 佐藤忠義さんインタビュー(前半) 「潜在意識を信じれば夢は叶う」


今回は今年で70歳古希を迎える、最年長スタッフの佐藤さんに「夢の叶え方」についてお話を伺いました。

―佐藤さんはこれからCS60を持って世界を旅することを目指しているそうですね。どうしてそう思うようになったのか、教えてください。

佐藤:振り返ると、人生で一番変化があったのは、大学3年生のときでした。
たまたま本屋で立ち読みしていて、ジョセフ・マーフィーの『眠りながら成功する』という潜在意識の本に出会ったんです。そこに「潜在意識を利用すれば、目的は必ず実現できる」と書いてあった。それを読んで、「自分は何がしたいのか、どんな人間になりたいのか、何が欲しいのか」というリストを書き出しました。そのとき、本当に「これだけは絶対に叶えたい」と思ったことは、「外国に住みたい」ということでした。

―外国に行った経験はあったのですか?

佐藤:いや、当時は修学旅行以外で秋田を出たことがなかったんです。ただ、知り合いが「アフリカを旅してきた」と話しているのを聞いてね、「自分も絶対に外国に住みたい」という衝動がこみあげてきたんです。そして、マーフィーの本にあったようにイメージを毎日浮かべて、そうなっていることを実感していました。僕はグランドキャニオンを旅するのが夢だったので、アパートの壁にポスターを貼って、写真も部屋じゅうに並べて、朝昼晩「そこを旅している自分」を思い描いてその感覚を味わっていたんです。
ところが実家は祖父が昭和8年頃から珪藻土の採掘をはじめ最盛期には100人くらい人を雇っていました。僕は長男で大学を出たら家業をすることが決まっていたんです。

―後継ぎとしての期待があったのですね。

佐藤:そう。だから「外国に行きたい」なんて言ったら反対されるに決まっている。だから「東京に3年くらい修行に行ってきます」と言ったんですよ。ところが話したら、もうみんな大反対。

―東京でも反対されたんですか。

佐藤:とくに父は本当に怒って、台所から包丁を持ち出してきてね「お前これでも行くのか」と僕の喉元に突きつけたんです。でもね、不思議と僕は落ち着いていました。「ここで行かなかったら自分の人生は終わる」とスッと肝が据わった。もう何も怖くなくなって、「俺は決めたから」と言い切ったんです。周りは「こんな子じゃなかったのに」と泣き出して、大騒ぎ。結局、勘当同然で家を飛び出しました。

―壮絶な場面ですね。その後どうされたんですか。

佐藤:「とにかく3年でお金をたくさんためて外国に行こう」と決めていたので上京して、お金を稼げる外資系の企業に就職したんです。

―その頃は、どんなお仕事をされていたんですか?

佐藤:「とにかく3年間でお金をたくさんためて外国に行こう」と決めていたので、外資系の企業に就職したんです。フルコミッションの営業で、たくさん飛び込みをがんばりましたが、秋田弁で話してるから通じません(笑)。最初の1年は契約も取れなくて、3食まともに食べられないほど苦しかった。いったん退職しましたが、元の上司に声をかけられて戻ったら、そこから契約がバンバン決まる。不思議でしたね。自分の力じゃなくて、何かが働いている感じがした。そのとき1年間で600万稼いだんですよ。45年前ですから、大学の初任給が月9万の時代ですね。全国で売上5位に入って、ポルトガルにも招待されました。
24歳のときには両親をハワイに連れていって、親不孝を許してもらったんです。旅行から帰ってきて、本当に仲良くなりました。「よし、これで世界に行けるぞ」と両親に話したら、もう反対はされませんでした。それから2年ほど外国に行きました。はじめはオーストラリアやニュージーランドに住んで観光ガイドのバイトをしましたね。その後半年間はバックパッカーで東南アジアからネパール、インドまで旅しました。

―大学3年生の決意が、本当に実現したのですね。

佐藤:これも全部、潜在意識の力だと思います。「やる」と決めて信念を曲げなければ、助けてくれる人が現れるし、道が開けていく。結婚相手だって潜在意識に任せていればいい、そう思っていたら、イスラエル・スイスのツアーで今の妻に出会ったんです。成田空港で一目見て「この人だ」とわかりました。

―一目でわかったんですか。
佐藤:そう。妻も旅行中から「私はこの人と秋田に行くんだ」と思ったそうです。その後結婚して、今も毎日おにぎりを握ってくれます。本当に感謝しているし、尊敬しています。のろけですみません(笑)

(つづく)

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