今回は広島市内で「清水元気堂」というサロンを運営している清水翼さんにお話を伺いました。山奥で自給自足の生活をしていた清水さんがCS60の施術者になった経緯をインタビューしました。
―清水さんが最初にCS60を知ったきっかけは何ですか?
清水:きっかけは高城剛さんのメルマガ『高城剛の高城未来研究所「Future Report」』です。
―西村先生との対談記事が掲載されましたね。
そこで何か感じるところがあったということですか。
清水:妻がタイ式マッサージなどのケアワークの経験があったので、「面白そうだね」という話になりました。
僕の実家が東京にあるので、帰省するタイミングで施術を受けたのです。
それまで色々な施術を受けた経験と比べても違いが明らかだったこともあり、妻が最初にFLに加入しました。
―清水さんもその時CS60を受けられたのですか?
清水:僕も体験したのですが、それまでマッサージを受けたことがなくて、CS60が初めてだったので比較対象がないこともあってか、よくわからなかったんです。最初の3〜4年くらいは妻だけがCS60をしていました。
その間僕は山に引っ込んで、ボロボロの古民家を直したりしていたのです。
―古民家を直すというのはどういうことでしょう。お仕事ですか?
清水:一般的なイメージでいう仕事はしていません。
ただ、自給的な生活をしていたので毎日忙しかったです。
たまたま島根県の山奥の古民家を譲り受けたんですけど、信じられないくらいゴミ屋敷でした。
家も相当傷んでいるので屋根の葺き替えなどあちこち修理が必要でしたし、東京ドームが何個か入るくらいの把握できないほどの土地があったので、草刈りなんかも大変でした。
―食事はどうされていたのですか?
清水:一反の畑があって妻が野菜を作っていましたし、山から山菜が取れます。原木で椎茸を栽培したり、鶏も50羽飼っていました。ご近所の方から車に轢かれたイノシシをもらったり、飼っている犬が時々狩って来た小動物を食べたりしましたが、犬による狩猟は違法なので内緒です。
―電気やガス、水道などのインフラはありましたか?
清水:キッチンや暖房、風呂に使う燃料は薪でまかないました。
幸い50mぐらい掘った深井戸があったので水汲みは不要でした。
僕は敷地内に風呂釜を利用して塩田を作り、薪を割って火を起こし海水を煮詰めたりしていたんです。トイレも自作して、畑にかえしてました。
―本格的なサバイバル生活ですね。
その生活から、どうしてCS60の施術者になられたのですか?
清水:家の修理がひと段落したタイミングで、「そろそろ社会復帰しようかな」と考えるようになったんです。
ひと段落と言っても、普通の人だったらまだまだ住めるレベルではないと思いますけど。
当時妻がマルシェでCS60の施術をしていて、体験した人がみんな笑顔で帰るのを見て「自分もやってみよう」と思うようになりました。
―今も古民家で施術をされているのですか?
清水:本腰を入れて施術するために広島市内に引っ越しました。
最初は「アルバイトと掛け持ちをしてでも」と思って資金に余裕のないところからのスタートでしたが、アルバイトをしなくてもなんとかなったのでCS60に専念しています。僕の生活水準が低いからかもしれませんが。
―今回の健康博は「人生を変えた仕事」というのがキャッチコピーです。
清水さんはまさにCS60に出合ったことで人生が変わったかもしれないですね。
清水:少なくとも山から降りてシャバに出てきました(笑)。
(おわり)