今回は愛知県名古屋市千種区で
CS60名古屋池下「天恵庵」を営む板谷達男さんにお話を伺いました。テレビ局の社員という安定した職を辞し、CS60の施術者になった経緯を伺います。
―板谷さんが最初にCS60を知ったきっかけは何ですか?
板谷:僕は「株式会社原田武夫国際戦略情報研究所」の会員で、原田武夫さんがCS60を紹介していたのを見て興味を持ちました。
―どういうところに興味を惹かれたのでしょうか。
板谷:自分自身に古傷があって、大腿骨を脱臼してから痛むようになったのです。
痛みは5年くらい続いたと思います。
病院にも行きましたし、知り合いのカイロプラティックを受けたりしましたし、鍼灸や整体など思いつくことは全部やりました。
一通りやり尽くしてから試しにCS60の施術を受けてみたら、びっくりすることに一回で「サランラップが貼り付いているような不快感」が消えたのです。
―長年気になっていた足の違和感が取れたのですね。そこから施術を受けるだけではなく、自らFLになろうと思った経緯を教えてください。
板谷:僕はもともと名古屋のテレビ局に勤めていました。
報道カメラマンとして東日本大震災の現場など色々なところを撮影して回っていたのです。
―CS60を知った頃はまだお勤めだったんですよね。どうして会社を辞めて施術者になられたのでしょうか。
板谷:悲惨な事件を伝えることで、何だか不幸をバラまいてるような気持ちになってきたのです。実際気持ちがネガティブになると、体にも影響が出てきます。
だから真逆のことをしたいと思いました。
―人を幸せにするような仕事がしたいと思ったのですね。素朴な疑問ですが、見た人が幸せで元気になるようなニュースを報道するのは難しいのでしょうか。
板谷:悲惨な事件事故に比べて明るい話題はどうしてもニュースバリューが低いので難しいのです。僕は以前撮影したドキュメンタリー作品がギャラクシー賞 大賞をいただいたこともありますが、CS60に出合ってから31年間勤めていた会社を辞め、この道に進むことを決意しました。
―お勤めになりながら副業としてCS60をすることは検討されましたか?
板谷:副業が禁止だったのと、勤務時間がとても長く緊急呼び出しも多いので、両立は無理だろうと思いました。
2019年にテレビ局を辞めてCS60に専念することにしましたが、他の人からは「どうして辞めたの?」と不思議に思われます。テレビ局はすごく年収が高いので。
―それを捨ておいてでもCS60をする価値があると思われたのですね。
実際に施術者として活動し始めて、どんなことがありましたか?
板谷:僕がサロンをオープンしたのは、まさにコロナの緊急事態宣言中だったのです。
集客どころか知り合いすら来ません(笑)。
仕方ないので、大阪支部の自主勉強会に参加して腕を磨くことに特化しました。
―その甲斐あって技術を伸ばすことができたのですね。今では年間1200人超の方に施術されているのだとか。人生が大きく変わりましたね。
板谷:CS60に出会っていなかったら、定年までテレビ局にいたと思います。
正直経済的には結構苦しいのですが毎日幸せを感じています。
施術して変化があった時に、お客さんが心の底からの笑顔を見せてくれるのは、何にも変え難い喜びです。
(おわり)