すべての人のウェルネスを願って日本で開発された、ヒーリングシステム CS60

2020/10/22

Newsletter Vol.81

CS60ニュースレター 斎田文子さん(前編)

今回お話を伺ったのは、毎週千葉県から青山のサロンに通ってこられている会員の斎田文子さんです。西村先生も交えて、お話を伺いました。

―斎田さんと、CS60の出会いはいつごろですか。

斎田:初めて行ったのは5年前ですね。新井薬師の「松扇」に通って、おかみさんから、おいしいものをたくさんいただきました。

西村:食べ物に釣られてきたんです(笑)。

斎田:違いますよ、先生!(笑)

―先生が趣味でお蕎麦を打っていたころですね。

西村:趣味で蕎麦を打って、それを売っていました(笑)。

ー先生を知ったきっかけは何だったのですか。

斎田:9年前に乳がんで手術したのですが、3年で肺に転移してしまって。「抗がん剤治療をしなければ、あと半年の命です」と余命宣告されたのです。抗がん剤の治療が体に良いとは思えなかったので、私は「ちょっと考えさせてください」と言って、他の方法を探しました。いろいろ試しているうちに、お友達からCS60の話を聞き、当時新井薬師にあったサロンに連れて行ってもらったのです。

―がんの代替療法を探されている中で、CS60を見つけられたということですか?

斎田:代替療法というほど大それたことではなくて、もともと「体にいいことだったら何でもやってみよう」という考え方なのです。お医者さんからは「無治療だ」と言われながら、CS60を受けました。それが5年前です。

―そのころ、がんのステージはどのくらいだったのですか。

斎田:転移しているので、ステージ4くらいです。

―ここに来られて、初めて治療を受けた時はいかがでしたか。

斎田:痛かったですよ。今も痛いですけど、その時の痛さは全く違いました。

西村:よく耐えていたと思うよ。すごく根性があるよね。

斎田:そばに見ていたおかみさんが「かわいそうだから……」と言って止めたくらいです(笑)。

ーよっぽど痛かったのでしょうね。

西村:簡単に言うとペンチでつまんで、ぐーっと持ち上げて、ギュッとひねったような痛みだと思う。

斎田:表面的なものではなく、体の中からの痛みで。終わった後もしばらく動けない状態でした。

―そんなに痛い思いをされても、ずっと続けられたのはすごいですね。体がラクになった実感はありましたか?

斎田:実感というよりも、「とにかく続けよう」という感じでした。生きるためには何かしなければいけないという状況だったのです。

西村:斎田さんがうちに来た時は「余命半年」って宣告されてから3カ月経ったころですから、こっちも必死ですよ。勝負つけないといけないと思っているから、妥協なんてしていられません。

斎田:逆に「痛いからこれはいいんだな」って思う部分もありました。最初は週に2~3回くらい来て、その後ずっと週1回来ています。コロナで3か月お休みしましたが、それ以外は毎週来ていますね。長いお付き合いです。「とにかく今より悪くならないようにするにはどうしたらいいかな」っていうことを、いつも考えているのです。どういう方法でも私は構いません。普通の生活が楽しくできていれば。それがお薬であっても何でもいいのです。

西村:斎田さんは会ったときから、「自分はいつ亡くなってもいいんだ」という覚悟を決めていました。命乞いをしないという潔さがすごくありましたね。

(つづく)

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