すべての人のウェルネスを願って日本で開発された、ヒーリングシステム CS60

2023/12/14

Newsletter Vol.245

CS60『風の月』えびの」黒肱海聖

今回お話を伺ったのは、「CS60『風の月』えびの」の黒肱海聖さんです。黒肱さんが大学卒業後すぐにCS60のサロンをオープンした理由についてインタビューしました。

―黒肱海聖さんのご家庭は、家族4人がCS60のFL(フェローシップ)に加入されているのですよね。

黒肱:母、姉、兄、僕がFLです。母は宮崎市で『月と月』というサロンを営んでいます。

―今年大学を卒業したばかりなんですよね? そのまま開業されたのですか。

黒肱:卒業するタイミングで祖父が亡くなって、僕が家や土地、お墓の管理を任されたんです。
そのまま就職せずにえびの市の開業塾で経営のことを学び、祖父の家でサロンを始めました。1年前に母がえびの市のお客様を施術するときのために、祖父の家をリフォームしていたんです。その場所をそのまま使っています。

―ということは、どこかのサロンで修行をすることなく、いきなり開業されたのですね。開業したばかりのころは、施術のときに緊張されたのではないですか?

黒肱:最初のほうは、祖父のお葬式でお世話になったお寺の方に施術をしていました。母と二人で一人をする体制で、いろいろなことを教えてもらいながら施術に慣れていったんです。

―近くに頼りになるFLの先輩がいらっしゃったのですね。
大学卒業後すぐに施術者になられたということは、黒肱さんにとって初めてのお仕事がCS60だったのでしょうか?

黒肱:実践型の農業大学だったので、付加価値をつけて物を売るための勉強として、会社の副社長をしたことがあります。

―副社長ですか! そのまま会社を経営する道もあったかと思いますが、どうしてCS60に専念しようと思ったのでしょうか。

黒肱:会社の経営を通して組織に所属するメリットを見失ったので、一人で何かやってみたくなったんです。

―職人気質なのかもしれないですね。CS60に出合ったのは何がきっかけですか?

黒肱:母がサロンを経営しているので、存在は知っていました。
大学の在学中に「あなたも研修を受けに行きなさいよ」と言われたんです。飛行機代と研修費を出してくれるというので「旅行がてら行ってみよう」と思って東京の本部に行きました。いつでも開業できる状態だったこともあり、卒業後サロンを経営することにしたんです。

―今は体験会などのイベントにも積極的に参加されていますよね。
これからどんなことがしたいですか?

黒肱:まだ経営が安定した状態ではないので、もっとお客様に来ていただきたいです。最近は自分でポスターを作って、近所のお店に貼らせてもらっています。

―知ってもらうために、PRに力を入れているのですね。
今日はお母さんの黒肱朝美さんもいらっしゃいますので、ご意見を伺いたいと思います。お母さんから見て、海聖さんはどんな方ですか?

朝美:優しいです。えびの市に1年7カ月前から施術しているお客様がいるんですけれど、そのきっかけをくれたのが彼なんです。いつも行く中華屋の店員さんが、腰が悪そうにしていました。
それを見た彼が「あの人腰が痛そうだから、お母さんやってあげなよ」と言ったんです。それまでCS60にはそんなに興味がないと思っていたので意外でした。
「今日も美味しかったです。ごちそうさまでした。もしかして腰が痛いんですか?」と店員さんに声をかけて、私たちが最後の客だったのでその場で2分くらいお腹の施術をさせてもらいました。
合計4人施術したのですが、海聖はCS60で人の様子が変わるのを見て、心が動いたんだと思います。えびの市のお客様を施術するために父の家をリフォームしたタイミングで、「お母さん、このサロン俺がやるわ」と言ったんです。

―自らサロンをすることを決意されたんですね。
CS60の研修を受けることを息子さんにすすめられた理由は何ですか?

朝美:私もCS60のサロンをしていますし、上の娘と息子も研修を終えているので、海聖にも学生最後の夏休みに研修に行ってもらおうと思ったんです。そのときは「東京で社会経験をしてほしい」というくらいの軽い気持ちでした。

―それがまさか人生を変えることになるなんて、思いもしなかったのですね。これからも親子での活動を応援しています。

(おわり)

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