
- 2025/02/20
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Newsletter Vol.307
「CS60 SALON 楽(RAKU)」 三木万紀子さん(前編)
今回は徳島県でサロン「CS60 SALON 楽(RAKU)」を営む三木万紀子さんにお話を伺います。震災をきっかけに自分の生き方を見直し、CS60に出合うまでの経緯を辿ります。―最初にCS60と出合ったきっかけは何でしょうか?
三木:2011年の東日本大震災の津波の映像を見たことがきっかけで、生き方を変えようと思いました。「もう自分のやりたいことしかやらない」「自分のために生きる」と決意しました。
―それまではどんな生き方だったんですか?
三木:一般的な生き方ですね。仕事をして、結婚して、家庭を持つという、ごく普通の生活を送っていました。その中では多くの我慢がありました。でも、「我慢するのは当たり前」と思って生きていましたね。
―自分を抑えつつ、自分は二の次にしていたんですね。
三木:みんながそうしているから仕方がないと思っていました。しかし、真面目に普通に生きていても、ある日突然命が終わることがあるんだとリアルに感じたとき、「このまま津波にのまれたら、私は絶対に未練を残して化けて出る」と確信しました。津波にのまれる自分を想像したとき、「今の生き方では絶対に後悔する」とはっきりわかったんです。その時決めました。
―何を決意されたのですか?
三木:「絶対に離婚して人生をリセットする」ということです。テレビで津波の映像を見ていた場所は、夫の病室でした。ちょうど介護の真っ最中で、夫は一歩もベッドから降りることができず、回復の見込みも不透明な状態でした。彼は結婚後すぐに体調を崩したため、19年間の結婚生活のうち18年間はいつも夫の体調面に振り回されている日々でした。
もちろん、病気は本人のせいではありません。私は「どうにか穏やかに毎日を過ごせれば」と思っていたんです。しかし、結婚生活の中で夫は2度も生死をさまよいました。1度目は回復して普通の生活ができるようになりましたが、2010年の大晦日に倒れたときには、身体に大きな障害が残るほどの状態になってしまいました。
津波の映像を見たときには本当に先の見えない状況で、「この先も私は一生夫を支えて暮らしていかなければならないのか?」という疑問が湧いてきたんです。
離婚するにしても「まずはこの人が一人で生活できるように回復させなければ」と考え、1年半かけて自立を支援。そして離婚し「これからは自分の好きなことしかしない」と決めました。―離婚されてから、CS60を始めた2019年まで何年か空白の期間があります。その間どんなことをされていたのでしょうか?
三木:息子が大学を卒業するまでは収入が必要なので仕事をしていました。息子が社会人になってから、「本当にもうここからは絶対に自分のためにしか生きない」と決めて、仕事は週の半分までにおさえて、たくさん旅をしました。いろいろな人に出会って、その人の考え方や生き方を見せてもらう期間がしばらく続いていきました。
2017年の後半ぐらいから、自分が仕事をしてる職場の環境が急に合わなくなったんです。「この人たちと同じ空気を吸っていると窒息しそう」という感覚が襲ってきて、翌年にやめました。職場の人の笑い声を聞いても、本当は楽しくないのに笑っているように感じたんです。何か作り物の世界の中で、大事なことが誤魔化されている雰囲気を強く感じるようになって、「こんな嘘の世界にいても仕方がない」と思いました。
(つづく)
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